成増塾英語科・門脇のブログ

難関大学受験・成増塾で英語トップクラスを担当しています。毎年、東大・国公立医学部等の難関大合格者を多数輩出しています。

新高1クラスを担当して感じること

新高1クラスを担当して3週目になりました。
将来が有望視される生徒たちが多数、門脇クラスに参加してくれています。かなり高いレベルでのクラス運営を行っていけるように感じています。去年に非常に優れた東大合格実績をたたき出した門脇クラスの卒業生と比べてみても、まったく遜色ない、いやそれを上回る学年になりそうです。何より、こちらも授業をやっていて楽しくて仕方ない。月曜の成増校高1クラスで扱った前回内容の確認(内容は瞬間英作文)では、非凡な能力をみんな発揮してくれました。きっと、生徒たちの向学心の高さと、教える側の難関大合格への情熱の相乗効果が生じつつあるのでしょう。
門脇講座では、常に双方向で授業をします。一方的な講義は基本的にしません。また、双方向と言っても、一方的に指名してただ答えるというわけではありません。際限なくキャッチボールを続けていくイメージです。授業の主役は生徒です。そう思える主体的に参加する生徒だと、とりわけ英語力は伸びると思います。もちろん授業では英語を教えるのですが、授業を「英語を教わる」と同時に「英語を使う(運用する)」場であると意識してください。そして、馬鹿話でもいいので、コミュニケーションを積極的にとってください。そういう生徒は、まず例外なく伸びます。断言します。そういった生徒たちが集まってくれているのが、担当講師としてはこの上なくうれしいです。
この学年は、東大合格者二桁を本気で狙えそうな予感がしています。志の高い高1生にもっとたくさん集まってもらって、みんなで楽しくクラスを盛り上げていきたいと思います。「ガリ勉しなくても、また部活や趣味などにとことん励んでも、合理的なカリキュラムとテキストを正しい勉強法でこなしてくれれば、必ず東大・医学部にきっちり受かる」ことを、門脇クラスの卒業生は現に証明してくれています。これに新高1生たちも続いてもらいたいと切に願っています。

さて、開講して最初の3か月は、枝葉にあたる議論はせず、英語の根幹とは何かを徹底的に指導しております。
具体的には、品詞の全体像を示すことで英語の基本システムを理解し、文構成の正しい規則について読解、聴解、暗唱、英作による定着を目指します。

そして、この時期は何よりも正しい英語学習法を実践することに主眼をおきます。
(1)論理的な「理解」を講義で詳細に行い、(2)それをふまえて多角的な反復による身体的・感覚的「慣れ」を実践することで、「論理」と「感覚」の両面にすぐれた総合的英語力を養成するよう、英語学習の正しい指針を実践させています。
受講当初は、この手法に若干の戸惑いを覚える子も多いようです。学校の指導法と根本的に違うからでしょう。
中学校では最も合理的な英語の学習法を教授されていないのが現実かもしれません。こればかりは、その子の責任ではないですし、仕方がありません。
おそらく、(1)「理解」と(2)「慣れ」のバランスを欠いた指導が現に行われているのではないか、という疑念を覚えます。

学校での授業が理解(ただの「知識の詰め込み」という感もありますが)に終始している結果、頭でっかちな「英語の物知り」に終始していて、実際に知識の運用が十分でない生徒がいます。たとえば、リーダーの教科書とともに付属のリスニングCDを渡されているにもかかわらず、その使用法を聞かされていないという生徒が実際にいます。ものすごくもったいないです。リスニングCDを適切な方法で利用することは、理解した英語を運用する上で非常に大事な機会なのですが、そのような指導が行われていない学校が一部にあるようです。

他方で、多読中心の学習で感覚的には読めるものの、文構造が複雑だったり抽象度の高い英文を目にすると、突然つまづく生徒もいます。センターレベルの読解では高1の段階で高得点をとれるが、和訳や説明問題になるとまったくというほど点数につながらないタイプの生徒ですね。ここ10年でこのタイプの学校が非常に増えているように感じます。たしかにTOEICがもてはやされている現状では時流にのっているようにも思いますが、実はこのタイプのお子さんも高2や高3でかなりの確率で伸び悩みます。高1の易しい英語だと難なく解けてしまうゆえに、このことに気づかずに高学年を迎えてしまうケースも多いのです。くわばらくわばら。

前者のタイプは「理解」に終始して、多角的な反復作業を怠っている結果、「知っているけど使えない英語」に堕しているパターン。対して、後者のタイプは、英語を表面的になぞっているにすぎず、十分な英語への深い理解が足りていない結果、応用的な課題に柔軟に対応できないパターンです。

たしかに、英語学習の議論をめぐっては、従来の受験英語に見られたいわゆる旧来型「英文解釈」(構文主義)と、音読や暗唱、もしくは多読による「脱・受験英語」との間に、ある種の対立というか、論争がわき起こっているようです。受験英語の長文化という風潮に流されてか、前者から後者へと風向きは変わりつつあるようにも感じます。
私も10年ほど前に英語の指導を開始した時は、前者のタイプに与しており、ガチガチに論理的な講義を展開しておりました。一方で後者の意見にもうなずく点も多々ございます。そして、たくさんの苦慮を経て、今では、この論争こそが時代遅れで、すでに第三の道を歩む時代に来ているという結論に至りました。
私からみると、これは不毛な論争です。そもそも、この対立は問題設定自体がおかしいように感じます。両者は決して矛盾するものではなく、どちらか一方に肩入れする必要はないというのが私の意見であり、両者を融合した中道を正攻法で歩むように指導を実践しています。

その具体的な学習法を高1生には徹底して修得してもらいます。理解と慣れによって、論理と感覚にすぐれた総合的英語力を養う、これには多角的な学習を集約した一貫した学習法の実践が必要です。Reading, Writing, Speaking, Hearingの基本4能力を有機的に結びつけた各種の学習法で、同一教材に対して多角的にアプローチすることが私の授業では不可欠です。

今まで間違った勉強法をしてきた生徒がたくさん見られます。彼らのやり方を矯正し、合理的な勉強法を徹底させることが高1前半の最優先課題です。この課題を克服すれば、あとは成績が伸びるのは時間の問題と言えるでしょう。