新年度に向けて、体験生の方へどうしてもお伝えしたいこと
短い時間での連投、失礼いたします。
2月からの新年度に先駆け、年末年始にかけてこの一ヶ月間、新規体験生の方が数名いらっしゃいました。
高2(新高3)クラスを体験した人は口々に「難しい」とおっしゃいます。
また、他のクラスを同時に体験された生徒さんは皆、「門脇クラスの方が明らかに難しい」と例外なくおっしゃいますね。
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別に「難しいことが是だ」というつもりは毛頭ありません。生徒に合った講座レベルが大事でしょうし、成増塾英語科は優秀なスタッフが揃ってますから、その点は安心してください!
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たしかに、門脇講座の内容は、高校の学習内容に比べればはるかに難しいでしょうし(でなければ、塾で指導を受ける意味がないようにも思います)、
大手予備校の最上位クラスよりも確実にレベルは高いです。
東大や医学部受験で名を馳せている(大手以外の)指導機関のレベルとは遜色ないものに設定しているつもりですが、
それも、現行の最難関大入試を意識すると、この授業レベルに落ち着くべくして落ち着くといった感じでしょうか。
ただ、半年以上受講している人であればわかってもらえると思うのですが、
たしかに扱う素材(解釈、長文、要約など)の難易度は高いですが、それを読むために利用している技術や知識はいたって当たり前の内容です。
私は授業中に「いつも同じことばっかり言ってごめんね」と口癖のように言うのですが、
英語を読むための根本原理が体系化されていれば、「いつも同じ手法で読み書きする」のは当然でしょうし、
根本原理が毎回変わるようであれば、それはもはや原理とは言えません。
ですから、原理的な読み方の講義は基本「いつも同じ話」です(笑)
ただし、文章内容については毎回掘り下げた話をしますし(今週の高2の話題は心身二元論についてでしたね)、
語彙知識は豊富にネットワーク化する必要があるので、その点は毎週話題は尽きません。
でも読み書きのための原理は一定範囲に体系化できるものと私は考えています。
この「体系化」というのが大事で、デタラメに英語を多読してもダメだというのが持論です。
「いかに短期間で方法論の体系化を図り、それを豊富な言語実践へと接続するか?」というのがカリキュラム設計における10年来の課題でした。
最も効率よく原理を体系化し、この原理を根幹とする思考実践を通じて強靭な思考力を養う。
そのあり方を日々考えながら試行錯誤しつつ、毎年多かれ少なかれカリキュラムに変更を加えてきました。
そして、その集大成として、今年は大幅なカリキュラム変更を加えることとしました。
これについては、新年度の成増塾パンフレットの記載内容からもかなり変更が生じているため、近日中にご報告さし上げます。
話が脱線しましたが、話を表題の内容に戻すと、
体験の際に門脇クラスを受講するか否かを決める上での重要な試金石があります。
それは決して「授業のわかりやすさ」ではありません。
こちらは「わかりやすさ」を第一には追求していません。
もちろんわかりやすく授業することを心がけてはいますが、「わかりやすさ」を安易に求めることは「知的格闘の停止」を意味するように私には思えてならないのです。
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実は、授業ではわざと話をわかりにくくしたり、あえて難しい言葉遣いや抽象的な言い回しをすることがよくあります。
難しい概念も積極的に導入しますし、かなり抽象的な概念の説明をこちらからの発問で生徒に求めることもあります。
それはそれは辛い作業でしょうが、最難関大を攻略するに相応しい講義を実現する上でこれは欠かせない作業だと思っています。
それも、生徒それぞれが自分なりのコトバと論理をこねくりまわしながら、高い次元での言語習得を達成してほしいからです。
自分なりにコトバと論理を紡ぐことが大事なのです。人の受け売りではダメなのです。
何でもわかりやすく教えてほしいという「甘え」の発想はわがクラスには禁物です。
自分のコトバで物事を理解し身につける快感を味わってほしいのです。
大人の意地悪ではありません(苦笑)
「わかりやすい」ことを優先する授業はなんだか胡散臭いなあと高校時代から個人的に感じていて、その勘は往々にして外れていないのです。
授業をわかりやすくするトリックはたくさんあって、たとえば、
「授業で扱う素材の難易度を下げる(そりゃわかりやすくもなるでしょう、苦笑)」
「授業で扱う分量を作為的に減らす(その分たくさん解説できますからね)」
「講師の解説に都合のいい素材ばかりを集める(これは意外に多く見られるトリックです)」
こういうわかりやすさに迎合する下世話な指導者がやるような小手先の指導方法論は絶対にやりたくないので、むしろその逆方向に門脇講座のベクトルは向いています。
「最高難度」で「必要十分な量」を「偏りなく扱う」というのが私のポリシーです。
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じっくり難問と対峙し、知的格闘の末に初めて得られるもの、それを授業を通じて勝ち得てほしいと思っています。
その上では「他人からの分かりやすい説明」は邪魔になることすらあるのです。
「自ら考えて、考えて、考え抜く」というプロセスをなおざりにしない受験生を私のクラスでは求めています。
ですから、体験生のみなさんには、「授業のわかりやすさ」なんかよりも「知的興奮を覚えたか?」「知的好奇心のアンテナが震えたか?」という一点で、受講を判断してほしいと願っています。
「そんなことより受験テクニックを早く教えてくれ」という安直な発想の受験生には、門脇講座よりも他を薦めます。
自分の授業ポリシーを押し付けがましく強要するつもりはありません。
ただし、高校時代に知的格闘の経験を積んだ学生は、受験テクニック漬けのにわか受験生よりも、学力的にも、また大学入学後にも必ず高みにいるはずです。
そうでなければ、大学受験のあり方が歪んでいるに他ならないのでしょう。
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ちなみに、国公立大や私立大最難関入試については、このポリシーを曲げることなく堅実に成果を収められているものと自負しています。
門脇クラスの教材がほぼすべて記述式であるのは、以上の点に起因します。
コトバを使って思考する科目である以上、コトバを駆使することを何より大事にするのは当たり前で、ですから読解系教材ではセンターなどの客観式問題は授業ではほとんど扱いません。
ひたすらにコトバと向き合うカリキュラムを設けています。
客観式(マーク式、記号式)ばかりやる講座を鼻で笑ってしまうのが私の悪い癖です。
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先述の通り、英語を読み書きする上での原理の体系化というのは、大して時間がかからない作業です。
ですから、それよりも「緻密な思考を紡ぐには、どういう手順を踏めばよいのか」ということを教えたいのです。
門脇英語講座を受けている生徒からよく「英語だけではなく現代文の成績も上がった」と言われることがあるのですが、これは当然のことで、
言語で論理を紡いでいる上、その思考の範型は現代文にも援用可能です。
もちろん、英語と日本語の論理構成の違いには十分留意する必要はありますが、それを大づかみにできれば、さほどの違いはないはずです。
以上の考え方は、他の指導機関はもちろんのこと、きっと成増塾の他の先生ともかなり異なるスタンスでしょうから、
成増塾全体としてではなく、あくまで門脇の私見としてご理解くださいますよう、お願いいたします。
上記の「カリキュラム」と「体系性」をめぐる話題については、また近日中にアップしたいと思っています。